2007/7/4 水曜日

人生を半分降りる

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 22:15:08

 前回からの続きで「『人生を半分降りる』(中島義道 新潮OH!文庫)について、もう少し触れてみたい。しかし、前に書いたように、この本は、哲学学者の知識のひけらかしと、生活におけるグチが綴られているだけで、読み終えてしばらくしてみたら、なにも残っていないのに気がついた。ただ、タイトルだけが印象的なのである。

 要するに、人生を完全に降りてしまうということは、ありえない。半分降りても相当に抵抗がある。それに抗って生きてゆくべきだという話である。ただ、著者が副題にしている「哲学的生き方」にどれほどつながっているかといえば、疑問である。年金をもらえるようになって、食ってゆければ、部屋にこもってそれなりに世間と断絶した生き方ができるに違いない。しかし、それを「哲学的生き方」と呼べるかどうかは疑問である。

 どうやら、「人生を半分降りる」なんていうことは、単なる言葉遊びのような気がしてきた。著者の言う「哲学的」という言葉も言葉遊びに感じるのである。イデオロギーとまではいかなくても、われわれの年齢になれば、なにか生き方に対するこだわりというか自分なりの固執ができてくる。それを「哲学的」と呼ぶべきなのかどうか?

 きょうは、栗の花をアップします。明科から池田町に抜ける途中で撮りました。バックの山は蓮華岳かと思います。あの辺は、後ろに山を入れてとればそれなりに写真になってしまう。

大きな栗の木  池田町  2007/6/23

2007/7/1 日曜日

一休み

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 15:48:28

 きのうの土曜日も出勤日で、先週は疲れたので、今日は自重して一日家にいようとのんびりしています。先週撮った写真をアップしながら、とりとめもなく綴れればいいのですが。

 私は、トイレで本を読む習慣になっていて、ブックオフで一冊100円の文庫や新書を買っておいて、読むようになっています。最近、『人生を半分降りる』と『下流社会』という本を続けて読みまして、感想を書いてみようかなと思っています。まったくの乱読でして、100円の本ばかり買っているので、古いベストセラーなども数年遅れで読んだりします。この2冊は、関係ないと思っていたのですが、読み終えてみると、どこか関連を感じます。そういえば、今読んでいるのが『清貧の思想』どこれもかつてベストセラーだった本でして、これもなにかつながっている。ベストセラーといえば、きのう、『ダビンチコード』の上巻がやはり100円で出ていたので喜んで買って来ました。

 「読み終えた本を売ってください。」なんて書いてあるけど、100円の本て、それなりに紙が黄色になっていたりしているのが多いので、持っていってもいくらになるのか考えると捨てても同じかなと感じます。

 今月で57になりますので、いよいよ定年が視界に入って来まして、うちの会社は嘱託でそのあと使ってくれるみたいなのですが、気持ちとしては、一度リセットしてみたいところがあるのです。『人生を半分降りる』というタイトルだけで買った本で、著者の中島義道という人は、知りませんでした。カント哲学の研究者のようで、(あえて、哲学者とは書かない)哲学者業界の悪口をいろいろ書き綴っているのですが、哲学研究者らしく知識のひけらかしみたいところが目だって、「人生を半分降りる」生き方をもっと協力に説明してくれるのかとおもったのですが、それほどでもありません。大学教授という立場ですから、退職金もありますし、物を書いて印税収入もあるわけで、「人生を半分降り」た生き方もいくらでもできるのでは、とこの本を読みながら感じました。

 私自身が人生を半分降りて生きて行きたいところなのですが、その経済的基盤をどこに求めるのかがまず先に来ます。とにかく、蓄えというものがない。それでも、生き方としては、そんな方向をめざしたい。

 その後、「下流社会」という本を読みまして、別の面から考えさせられましたが、次回。

 今日の写真、ラベンダーかなと思って撮ったのですが、違うかも。朝露が逆光に輝いてきれいでした。

明科あやめ公園で

 

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