2008/2/24 日曜日

銀色の森

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 7:38:16

 前回と同じ戸隠キャンプ場での撮影。朝、朝陽があたって森全体が銀色に輝いていました。なんとか写真を撮ろうと思ったのですが、どうやって表現していいかわかりませんでした。

 この写真、私の液晶ディスプレイの上では、白く光った感じで見えるのですが、プリントアウトしてみると、色温度の低い赤い光で、赤く色づいてうつりました。朝の光ですから、そうなのですが、ディスプレイとのキャリブレーションを考えさせられました。

銀色の森

2008/2/20 水曜日

写真のタイトル

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 21:54:28

 写真につけるタイトルというのは、重要なもののようだ。もっとも、発表を前提にしてのものだろうが。

 そこで、私も気取ってタイトルを付ける意識を持とうと思う。練習にいろいろつけてみたい。この写真に「ザルツブルグの小枝」と付けてみました。

 確か、スタンダールが「恋愛論」の冒頭でザルツブルグの鉱道に小枝をほおりこんでおくと、結晶が付くという例えから、恋愛論を展開していたと思うのだが、手元に本がないので、裏をとれませんが。

ザルツブルグの小枝

2008/2/17 日曜日

落語あるいは落語家論 その八

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 11:09:52

 ブログに書く記事にこまって始めた落語家論だが、SNSにも日記を書くことにしたので、この辺で打ち切ってブログは、日記とは別の形で運用するのがいいようである。

 ピン芸人論の延長で始めた落語家論であるが、幸いなことに、落語の世界は、すでに視聴率の世界からオミットされてしまっている。エンタの神様の観客では理解できない芸になっている。(そんな風に断定してはいけないが、あのくだらないギャグに笑えるというのが観客の知能レベルを示しているとしか思えない)。もはや「古典芸能」としてしか歩む道がなさそうだというのが、どうやら結論である。

 では、談志、志ん朝に続く落語家はいないのか。絶望なのか。地方にいる私は今の寄席を見ていないので、落語界の現在を知らない。

 知っている一人に立川志の輔がいる。「試してガッテン」と家庭教師のコマーシャルなどでテレビでも売れている。はじめ、この人の落語を聞いたときは、師匠談志のコピーだと思っていたけど、いくつか聞いているうちに志の輔ワールドというものを感じるようになった。WOWOWで独演会を放映するくらいだから、若い人にも受け入れられているのだろう。若い人に落語を好きになってもらう格好の噺家ではないだろうか。

 同じ立川流に志らくがいる。シネマ落語で売っている。長野での公演を見に行った。テンポのいい落語だが、もうひとつ魅力が欠ける。年齢を重ねるに従ってどうなるのか。不安と楽しみが交錯する噺家である。

 柳家喬太郎という噺家も好きだ。新作もいい。雰囲気が楽しく人気者になって欲しい。

 落語家というと笑点のメンバーと林家正蔵あたりが話題になるけど、ほとんど落語を聴いたことがない。歌丸は、圓朝ものなど大ネタをやっているけど、もうすこし軽い噺のほうがこの人には合うのにと思う。死に際には誰もそういうものかもしれない。昇太は、楽しい。古典も自分の土俵でやっていて、いいのではないだろうか。

 とにかく、地方にいると落語を聴く機会が少ない。このへんでやめよう。

森のめざめ   

2008/2/11 月曜日

ブログとSNS

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 19:38:19

 このブログを運営している友人がSNSを始めました。ブログも、ログですから、「日誌」でSNSのほうにも「日記」があり、どちらを使用するかややこしいところです。私としては、ブログは、オープンなもの(といっても、世間一般の人に見られているという意識はあまりないのですが)として扱い、SNSの日記には、「日記」に近いものを書き込めればと思います。

 あるいは、写真の発表の場をブログにして、今までどおり記事に必ず写真をつけるけど、日記の方には、その記事と関連した写真があれば付けるけど、文字だけでもいいことにしようと、そんなことを自分で決めています。ここにアップする写真は、それなりに気を使っているのですが、日記の方は、記事の説明的なものならなんでもありにしようと思います。

 このブログにコメントを寄せてくれた何人かの友人をSNSに誘ってみようかともおもっているのですが、もし、このブログを見た私の友人でSNSにもと言う方は、連絡してください。

 私は書くことは嫌いでなくて、テーマさえはっきりすればいくらでも書ける自信はあるのですが、下手な写真をアップする口実に何か書かないといけないわけで、今やっている「落語家論」はあまりに自分の世界過ぎたかなと、早々切り上げて、もう少し一般的なものと思っています。今考えているのは、「北信濃ガイド」みたいものが面白いのではないかなと思っています。

 今日の一枚、志賀高原の田ノ原湿原で、SNSのほうにも、ほぼ同じ位置から撮った写真をアップしました。SNSの方は、アップロードサイズが300K以下ですので、壁紙に使ってもらうにはこちらの方がいいのではと思っています。

志賀高原 田ノ原湿原

2008/2/9 土曜日

落語あるいは落語家論 その七

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 21:17:12

 落語家の好き嫌いはいろいろあるだろうが、評価というものは、有る程度できあがってしまうものだろう。お笑い三人組で顔を売った今の三遊亭金馬とその師匠である先代の金馬を比較して、今の金馬のほうがうまいという落語ファンはまずいないだろう。師匠がかならずしも弟子よりうまいわけではないが、なかなか先代を超えるのは大変だと思う。三木助のように親父を越えられず自殺してしまったものも出てくるくらいである。

 落語家の比較論といえば、志ん生VS圓生 志ん生VS文楽などが昔行われたが、今はどうなのであろう。小さんVS談志なんていうのもおもしろいかもしれない。これは、ファンによって相当意見が分かれる比較だろう。談志の言い分をみとめて、リアリティを守った小さんを否定的に見るファンもいるだろうが、落語ファンの多くは、小さんに軍配を上げる気がする。小さんは、やはりうまい。私は、それほど好きでなくて、どっちかというと談志の肩を持ちたいが、うまさということではやはり小さんではないだろうか。

 こういう比較論は、ある意味くだらない。いろいろな噺家の個性があってこそ「落語」なのではないか。談志の「芝浜」と三木助の「芝浜」を比較したいとは思わない。両方、聞いてみたくなる。それでいて、最近の噺家の「芝浜」の印象がない。前回と同じ結論だが落語界のいきづまりをその辺に感じてしまうのである。

 今日の一枚は、志賀高原で撮った写真。山の斜面に朝日があたったところです。 

朝日があたって   

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