2008/1/27 日曜日

買っちゃった

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 8:04:13

 きのうは、朝、戸隠まで写真を撮りに行きました。キャンプ場をめざして行ったのですが、駐車場は雪で埋もれていて入れません。森林植物園も同じ状態。車を止めるところがなく、中社まで戻ってきました。今年は、カンジキを買ったので、それをはいて小鳥が池まで行ってみようと試みたのですが、雪がやわらかくて、2,30センチは沈むので危険を冒したくないのでやめて帰って来ました。結局、戸隠ではシャッターおさずじまい。帰りに、飯綱の白樺の森で、カンジキはいて、何枚か写真を撮ってきました。

 夕方、注文していたプリンタキャノンPIXSUS Pro9000が届きました。今までのプリンタが4色インクだったので写真用にもう少しいいのと思っていたのですが、結局、A3まで印刷できるやつにしてしまいました。A3だから、設置面積もそのくらいだろうと思っていたのですが、デカイ。予定していた棚の上にはとても無理で、机の上に置くことにしましたが、パソコンでないデスクトップが完全に占領されてしまいました。

白樺の森

2008/1/25 金曜日

サーバー入れ替えテスト

Filed under: 今日の一枚, — kurasan @ 20:49:47

 サーバーを入れ替えたとメールをいただきましたので、早速テストしてみることにしました。

 ブログを書かせていただいて、感謝しております。知っている人以外の方はまず知らないだろうという安心感から、気楽に好きなことが書けます。

 でも、写真は、人に見せるという意識でアップしていますので、いい意味の緊張感があります。容量を気にしないでアップしているのですが、いいのかなと思うときがあります。

雪椿

2008/1/24 木曜日

落語あるいは落語家論 その四

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 21:38:09

 落語はテレビの演芸番組に登場する芸能ではもはやありえない。NHKの教育テレビでじっくり時間をとって放送してもらいたいところだが、今、しっかり放送しているのは、TBSだけだからなさけない。

 では、落語はもはや滅び行くかとそうではないだろう。「落語ファン」は、それなりに存在するだろう。私は、インターネットが落語の発展に寄与する可能性があると思う。現実に、インターネットで落語をみたり買ったりする試みが始まっている。特に、二つ目くらいの落語家のものは、無料で聞けるものがある。これからの落語家は、自分でホームページくらい立ち上げてそこで、自分の落語を配信すればいい。自信があれば有料にすればいい。それは、音楽の世界では、無名のアーティストがそうやって自分の楽曲を提供しているではないか。

 テレビというメディアにこだわる必要はなくなって来ているとおもうのだが。

きょうは、雪降り。寒い一日だった。今日の一枚は、前に、善光寺で撮った鳩の写真。 たまには、こういうスナップもいいかな。寒いね

 

2008/1/22 火曜日

落語あるいは落語家論 その参

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 22:08:44

 談志の遺言大全集を読むと落語に関する絶望が見て取れるが、私はそれほど絶望していないのである。それは、現状のCDで落語を楽しんでも結構楽しめるというところにあるようだ。最近の若い落語ファンはどうかわからないが、私くらいの年齢になると、自分の世界で満足できるのである。それは、最近の歌謡はほとんど聞かないのに、70年代のフォークばかり聞いているのに似ている。

 しかし、それでは、今の落語家は必要なくなり、ひいては、落語という芸能も衰退してしまうだろう。では、新しい落語の世界はないのだろうか。

 談志は、メディアとしてのテレビにこだわっている。しかし、テレビというメディアは確かにすごいものだが、そうとも言い切れない時代になっているのではないか。NHKの紅白歌合戦が視聴率が30%台になっているわけだが、十分な数字だと思う。50%なんていう数字こそ気持ち悪い。大衆の好みは、細分化してきているのであり、アキバ系とかオタクと呼ばれるように関心を示す分野も細かくなっている。私にしても、定期的に視聴している番組といえば、朝、時計代わりにつけている「朝スバ」と教育テレビの「将棋の時間」くらいでテレビがなくてもそれほど困らないだろう。

 スカパーなどを見ても、趣味が多様化して来ているのを見て取れる。コマーシャルがある無料放送を見るより、お金を払ってもいいから、自分の好きなものばかりをじっくり見たいという人が増えているのではないだろうか。テレビというメディアが廃れることはないだろうが、それがすべてかというとそうではない時代になってきている。

 今日の一枚は、大峰高原の大カエデのところからの眺め。顔を出しているのは、蓮華岳だろうか。確かめもしなかったけど。

木々の向こうに

 

 

2008/1/20 日曜日

落語または落語家論 その弐

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 20:45:20

 きのうは、土曜日なのに出勤で、きょうの日曜日はゆっくりしたいところでしたが、下の娘が部屋が狭くなってきたので、いらないものをとりに来てとかいわれて、行ってきました。ついでに、買い物というわけで、塩尻と松本をアッシーさせられて、一日つぶれてしまいました。ETCを付けたので、行き帰りとも高速代が半分になったのが、なんだかうれしい。

 さて、前回に引き続いて落語論を少しは、展開しましょう。

 桂文楽、古今亭志ん生、桂三木助という名前を出して、ピンとくる方でしたら、落語ファンなのでしょう。三遊亭圓生、林家彦六、柳家小さんという名前を出しても、普通の人は忘れているのでしょう。みんな故人です。前の三人の落語は、桂文楽の落語を一席聞いた以外、わたしは、直接聞いたことがありません。私が、落語が好きで寄席とか落語会に行っていたのは、30年近く前の話なのです。その時、古今亭志ん生はすでに故人になっていました。

 それでいて、市立図書館にある落語のCDは、志ん生のものがいちばん多いですし、私の車の中には、志ん生や文楽の落語のCDばかりが入っているのです。私は、今、立川談志の遺言大全集を読んでいて、その中で繰り返し述べられる落語に対する愛着とそれが「古典芸能」として滅び行くことにたいする嘆きを談志のいらだちの中で読み取っています。

 談志が、圓生や小さんをいくら批判しても、落語ファンと呼ばれている人の多くは、私と同じように故人のCDを聞いて楽しんでいるのです。談志世代で聞くとすれば、志ん朝と小三治と談志と、圓楽を入れるかどうかは、好みになってしまうような気がします。

 まして、談志の後の世代といえば、志の輔くらいしかあげられない。小朝や昇太、あるいは志らくなどの新しい試みを評価するけど繰り返し聴きたいとは思わないのです。

  まさに落語は、「古典芸能」であり、「大衆芸能」と呼ぶには、それを支持するファンは、インテリ階級になっているのです。落語家自身が大学出があたりまえなのですから。

 談志は繰り返し、「テレビ」というメディアが世界を支配している中で落語をどのように生き延びて行くべきかを考えているのですが、そして、彼自身、それが無理だとわかっているのですが、私もそういう意味では、落語がテレビで「大衆芸能」として脚光をあびることなどもうないのだと絶望しています。

 その絶望の中で、落語論を展開してみたい。

 今日の一枚は、大峰高原の有名な大カエデの写真。紅葉の時期には、群れているカメラマンが一人もいなくて、静かでした。雪に落ちた木の影を通して、木の生命感を表現したいと思いました。冬になって、木がまる裸になったとき、私はその生命感をすごく感じます。冬の写真はそんな写真ばかりです。

 冬の大カエデ

 

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