2006/10/15 日曜日

風景写真論 (12)

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 20:38:17

写真歴1年の私が生意気にも風景写真論もないというところで、そろそろやめようかと思っていましたら、先日読んでいた本に、カメラ雑誌の写真の切抜きを持って来て、この位置で撮ったのだと確認してから、同じ位置で写真を撮ってゆく人を時々見かけるということが書いてありまして、はじめはあきれていたのですが、そのうちに、さもありなんと変にうなづいたりしました。

 絵画には、模写ということはありますし、陶芸もそうですし、書道も臨書などがあってお手本を真似て上達するのは別に悪いことではなく、私にしても、ひたすらプロの写真を見て、それを真似て撮っているわけですが、同じ場所で同じところに三脚をすえて、写真をみながら画角を調整してとれば、かなりプロと同じに撮れるでしょう。そして、オリジナルを知らない奥さんや恋人にどうだと自慢できるでしょう。カメラをやっている人間のどこかに、いい写真を撮って自慢したいという下心があります。もちろん、私にもあって、このブログに載せるにしても、何カットも撮ったうちで、いいかなと思っているのを載せています。(その割りにロクなのがないのが悲しい)

 戸隠の鏡池とか飯山の菜の花祭の赤い橋を入れて撮るカットとか北竜湖の菜の花とか有名になってしまって、いつ行ってもカメラマンがいて、プロの写真も時々雑誌などでみかけるので、同じカットでは撮りたくないと言うのが私の気持ちなんだけど、前述のような人の気持ちがよくわからない。

 結局のところ、自分の感性なのだと思う。美しいと思って、カメラを向ける。ファインダーで覗いて、いいぞと思う。フレーミングを変えて、一、二枚とって見る。うちに帰って、パソコンに映して、こんなはずしゃなかったと、今日も繰り返している。プロの写真を見る。やはり、すごい。時間をかけて撮っている。私は、一箇所で光をじっと待っているなんてことしてないものね。たまの休日だもの歩きまわるのも目的の一つ。だいたい、絶好の天候なんてことは、ほとんどない。会社のトイレの窓から、快晴の空を眺めて、こんな日こそ写真を撮りに行きたいなとつぶやいている。

毎日が休日で、望みの日に写真を撮りに行けるような年齢になったときには、足腰が弱っていて、結局、老人カメラクラブに属して、マイクロバスで撮影ポイントを回って、写真を撮り歩く。そんな状況は、いやだ。

セイニチコウ 長野市七二会 2006/10/9

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