風景写真論 (5)
デジタル一眼レフが、新しいカメラを趣味とする一団を作り上げるのではないかという予感がする。前に言及した老齢のカメラ愛好者集団は、たぶん、フィルムカメラが多いはずだ。カメラの愛好者の老人クラブというのがあるのだろうと想像する。そして、集団で移動し、また、そのクラブで個展を開いたりしているのだろう。
写真の楽しみは、やはり大きく引き伸ばすことだが、それなりにお金がかかる。今までのカメラ愛好者たちは、仲間と個展を開いたり、カメラコンテストに応募したりして、作品を人目にふれさせることにより、よりいい写真を撮ろうと励んできたことだろう。写真を撮る背景には、大きな写真を他の人に見てもらって、「いい写真ですね」と言ってもらいたい野心があるはずだ。しかし、そこまでやるには、それなりの投資が必要なのだと私は思う。そして、今までは、経済的に考えてそこまでやる気がなかった。
ところが、デジタルカメラは、それらを解決してしまった。別にコンテストに応募しなくても、このブログのように自分の作品を人目に触れさせることができる。そして、大きく印刷することもそれほと゛経費をかけずにできるし、パソコン画面いっぱいにして見ていれば十分満足できるのである。まだ先のことはわからないけれど、私は、カメラ同好会みたいところに入りたいとは思わない。自分で歩いて、いいと思ったものを撮ればいいわけで、人と歩けば、必ずその人に影響されるに決まっている。仲間内で批評しあうことは、いいことだと思うが、批判されると内心いやな気持ちになることもあるだろう。自己満足でいいではないかと思う。デジタルカメラとインターネットがそういうカメラマニアをこれからどんどんと作り出してゆく気がするのである。
私の風景写真論は、そういう環境を前提に展開してゆこうと思う。
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