2006/9/24 日曜日

風景写真論 (4)

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 20:46:52

いままで、前段として一般論を考えてみた。さて、これから、「風景写真」の話に入ってゆこうと思うが、その裏には、「私はどのような写真を撮ってゆくべきか」という自分に対する問いかけがある。

 レンズを買うと、アンケートが付いて来て、そこに写真歴を選ぶ欄がある。そこで私は、悩んでしまう。一眼レフは、今から30年前に、オリンパスOM−2を買って以来使って来た。ズームレンズというものがまだ一般的でなく、50ミリの標準と135ミリの望遠と24ミリの広角レンズを同時に購入した。広角レンズをその当時一般的だった28ミリでなく24ミリを選んだのは、風景写真を意識していたからだった。

 山登りをして、「山岳写真」を撮りたいと思ったことがある。現在、何度かの転居で蔵書のほとんどが失われたというのに、白籏史朗「山岳写真テクニック」(山と渓谷社 昭和52年刊)なんていう本が生き残っている。日本山岳写真集団の写真集もあったけど、それは他の蔵書とともに失われてしまった。要するに若い頃、山の写真に感動して、自分もいつか撮りたいものだと思っていたわけだ。でも、結局、山登りをすることをあきらめて、そのままその感情をしまいこんでしまった。生活がそれを許さなかった。

 写真は、といえば、結婚前にはそれなりに撮ったりしたが、それもたいしたことはなかった。フィルム代、現像代などを考えると写真は、お金がかかる趣味だった。一度、リバーサルフィルムで、志賀高原の秋を写したことがある。素晴らしい青空をバックに撮ったフィルムは美しかったが、プリントアウトすることはなかった。

 つまり、一眼レフのデジカメを手にするまでは、特別風景写真を意識したこともなかった。去年は、お寺ばかり撮っていたが、その中で、デジカメのすばらしさに気づいたのである。

キンミズヒキ 長野市飯綱大池付近 

2006/9/23 土曜日

風景写真論 (3)

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 16:22:44

 中高年というより会社をリタイアした年齢の私から見ると、年金生活者(老人と言うのが失礼なので)たちのカメラマンの群れに私もたびたび遭遇している。朝早く、戸隠森林公園を一回りして、みどりが池に戻ったら、たくさんの三脚が池の一部に並んでいて、ちょっとびっくりしました。鏡池などは、いつ行ってもカメラマンを見かけない日がない。紅葉の時期ともなると、池のまわりをカメラの三脚が取り巻く。そして、たいてい私より年配の人が多い。「なぜ、写真を撮るの?」と聞いたらなんと答えるだろう。私と同じように、「健康のため」と答えるのではないだろうか。あるいは、「趣味ですから」と答えるのかもしれない。

 しかし、彼らを突き動かしているエネルギーはいったいなんなのだろう。健康のためだけならば、他にも道があるだろう。そう考えてくると答えが見えてくる。その答えは、「自然に触れ合いため」。たぶん山登りをめざす中高年もやはり自然に触れたいためなのだろう。それは、昔から繰り返された問い、「何故山に登るのか」という問いの答えにつながるものだろう。

 エコノミックアニマルとして、抑えていた自然とのふれあいの喜びが、自分の時間を持てるようになって、一気に噴出してきた結果なのではないだろうか。それは、生き物としての根源的な要求なのではないのか。

コスモス 黒姫コスモス園

2006/9/22 金曜日

風景写真論 (2)

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 21:59:31

今日は飲み会から帰ってきてすぐパソコンを開いて書いているのでろれつが回らない箇所があってもあしからず

さて、宮嶋康彦(以後敬称略)は、現在の風景写真家の第一人者と目されている竹内敏信の言葉を引きながら次のように書く

「風景写真家の竹内敏信氏は『写真人口を嵩上げしたのは会社をリタイアした高齢者で、いまさらというわけでないけれど、みんな自然の写真を撮りながら自分探しをしているところがある』と話した。興味深いことは、『自分探し』の彼らの写真志向が自然界に向かう、ということだ。女性写真や生物、街のスナップを撮る人がいないわけではないが、ファインダーの向こうに求められる風景は、おおかた日本固有の情緒、あるいは叙情である。花鳥風月の世界に傾くのはなぜだろう。なぜ、人生に悟りを開く年齢になってから、山河と対峙する道を選択するのだろう。」

この問題提起は、私にとって、風景写真論を超えて、日本人論に迫る問題提起と受け止められた。写真にかぎらず、山岳書籍コーナーに行くと、「中高年の山歩き入門」というタイトルの本がいかに多いことか。同じ土壌で論じていい問題なのだと思われる。

 この文章は、この本の冒頭に書かれているのだが、ここまで読んで、私はすぐに巻末に書かれている著者のプロフィールを見に行った。この著者の年齢が知りたかった、1951年生まれ。私と、ひとつしか、違わない。とすると、中高年とは、別の世代でなく自分の世代なのだと言うしかないのだが、ちょっと著者は、自分はもう少し若いのだという少し離れた視点で物を言っているのが気にかかる。わたしは、自分の問題として、この文章を受け取った。

ミゾソバ 長野市戸隠スキー場付近

2006/9/20 水曜日

風景写真論 (1)

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 21:17:37

 長野市の市立図書館では、10冊の本を二週間貸し出してくれる。同じマンションに住む老父母を誘って二週間おきに日曜日の朝、図書館を訪れるのが習慣化している。借りたものを返しに行ってまた借りてくるという循環である。必ず、10冊借りることとしている。中途半端だと返し忘れが起きるきがするので、とにかく10冊借りてくる。小説をほとんど読まないので、まず2冊読めればいいわけで、あとは、パソコン関係の本とか写真集などを借りてくる。写真の撮り方の本もけっこうの数あり、毎回2,3冊は借りてくる。花の写真の撮り方など何冊見たかプロの写真を見て、フィールドに行ってまねして撮ってみる。学びは、まねびである。

 先日借りてきた本に、宮嶋康彦『脱「風景写真」宣言 2010年の花鳥風月』(岩波書店)という本があり、問題提起がおもしろかったので、それに触発されてそれなら私も「風景写真論」を書いてみようかと思ったところで、書くネタに苦労しているこのプログに連載をはじめようと思ったところである。

 写真を添えるけど、本文には関係ないカットです。

キツリフネ 戸隠スキー場付近

2006/9/18 月曜日

ウメバチソウ

Filed under: 今日の一枚 — kurasan @ 15:23:48

 今日は、いつもどおり早起きして、戸隠スキー場に行って来ました。ふだん常用しているズームレンズにゴミかカビがついてしまったため、レンズメーカーにクリーニング依頼で送ってしまったため、マクロレンズ一本でということになると、花を撮るしかありません。どこにいこうか迷ったあげく戸隠スキー場に向かいました。今まで、何回か行ったのですが、霧がひどかったりして、そのまま引き返して来ていました。今日も、雲が低く、小雨まじりで帰ろうかなと思ったのですが、せっかく来たのだから、少し歩いてみるかとスキー場に足を踏み入れたら、ありました。まだ、見たことがない花が。紫色の花なのですが、今のところ名前がわかりません。野草ではないのかな。

 さらに、スキー場を少し登ってみたら、ウメバチソウが一面に咲いていました。白い花だったので、シロツメクサかなくらいのつもりでしたら、始めて見る花で、ウメバチソウでした。

 車で、移動していると、何にも目に入らないというのがよくわかりました。やはり、歩いて見ると、いろんな発見があるのだなとつくづく納得しました。

ウメバチソウ 長野市戸隠スキー場

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