風景写真論 (9)
毎日、断片的に思いつくまま書いているので、とても論とは言いがたいものになってきた。それでも、何の写真を撮るのか。なぜ、写真を撮るのか。どのようなスタンスで写真を撮るのか。自分に問いかける気持ちでいる。
前回では、プロを手本として写真を撮るのはいいにしても、アマチュアカメラマンはあまりにそれに縛られてしまっているのではという危惧の気持ちで書いてみた。しかし、初心者の私にしてみると、まだしばらくは、プロの写真をお手本としながらいろいろとテクニックを身に着けてゆく時期なのだろうと思っている。
花の写真をアップしてとることは、楽しい。私にとって、マクロレンズの向こうにある花の生態は、まさに未知なる自然との出会いなのだ。そして、今、花の名前を覚えることに楽しみを感じている。人と親しくなるには、まず相手の名前を覚えなくてはならないが、自然と親しくなるのも同じことだと思う。自然の名前を覚えることから始めようと思う。山も同じ。山の名前を覚えるだけで、ずっとその山に愛着が湧いて来る。
知らない花の写真を撮って帰って来てから、その花の名前を調べる。そのためには、アップの写真ばかりでなく図鑑写真も撮らないといけないのだが、帰ってみてみると、花だけを撮ってきていることが多い。今もわからない花があって調べているがわからない。インターネットにそういうのに答えてくれる掲示板があるので出してみようかと思っているけど、それまでにもうすこし調べてやろうという気になっている。
高原を歩いていて、知らない花を見つけると、うれしくなる。自然と接する喜びというものは、そういうものではないだろうか。そして、それらの花を写真におさめてきて、予想以上の雰囲気で撮れていればそれでいいと思う。私の写真に対するスタンスの基本をそこに置きたい。
ただ、アップばかりだと、ちょっと物足りない。イメージ的に美しい花なら、花屋から買ってきて、ライティングとバックを工夫して撮れば自然の中で撮るよりもずっと、印象的な写真になるだろう。しかし、それでは、つまらない。自然を撮っていることにならない。自然の中にある花、例えそれが路傍の花であろうと、そういう花を撮影したい。そうなると、まわりの景色も入れてみたい。すると、アップ写真では難しくなる。
夏梅陸夫という植物写真専門のカメラマンが、「植物風景」というジャンルを提唱しているのを読んだ。植物を主題としながら、周りの風景も入れて撮る風景写真というわけで、特別な写真ジャンルでもないだろうが、興味深い。時々、そのことを意識して撮ったりしているが、花をアップで捉えるよりずっと難しい。バックがそれなりになくてはならず、といって、バックがうるさくなってしまうと、主題の花がめだたなくなってしまう。むずかしいものだと思う。
それと、小さい花は、そうやって撮ることは、ほとんどむずかしい。名前を覚えてから、あちこちで見るようになったゲンノショウコなどは、アップでしか無理だと思う。
きょうの写真は、ワレモコウをそんな意識で撮った写真だけど、背景をもう少しボヤかせばよかったかと思う。
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