風景写真論 (7)
レスありがどうございます。そうなんです。バスで移動する老人カメラマンの集団。わたしには、どこか異常に映るのですが。私は、ああいう群れには入らないと思います。
さて、風景写真論も本題に入らないといけません。今、花の写真ばかり撮っています。これらの花のアップ写真は、風景写真に入るのでしょうか。厳密に言えば入らないのでしょう。風景ではありませんから。自然写真、ネイチャーフォトというのが、いいのでしょう。それでも、私のところにある「風景写真」とカメラ雑誌の投稿には、花のアップ写真が結構載っているので、「風景写真」に入れてもかまわないのでしょう。
そういう定義は、別として、冒頭で引用した宮嶋康彦の本の副題は、「2010年の花鳥風月」となっている。ここで、宮嶋康彦が問題としているのは、風景写真というと、結局のところ花鳥風月に行き着いてしまう。日本人というのは、結局そこへ行ってしまうのかということを問題としている。氏は、日光に住み着いて、戦場が原の奥の小田代原という原っぱに咲く一本の白樺の木を長年撮り続けたという。そして、それが有名になったのだろう。たくさんのカメラマンがその白樺を撮りに押しかけるようになった。朝、霧の中の白樺の光景がすばらしいのだという。ところが、霧が出ていなければ誰も見向きもしないのだと。氏は、それが日本の伝統美に縛られているためだと言う。私の憶測だが、おそらく、その白樺の木は、宮嶋康彦が世に出したのだろう。そして、その発表した写真の中でも、霧の写真がすばらしかったのだろう。それと同じ写真を撮ろうと、日本中からカメラマンが押しかけている。たぶんそんなところなのではないか。
さて、花の写真。花鳥風月である。この花とは桜をさすのかもしれないが。そういう意味では、私も花鳥風月に縛られている。
今日は、風景写真を一枚アップしてみます。聖湖の写真で、シンメトリーの画面構成にこだわった以外は、これといって、とりえのない写真だけれど。
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