マンネリズム
ここにアップする写真のネタが切れてしまった。もはや紅葉の写真もどうかなと思うので、去年の写真からないかなと探したけど、枚数はあっても、去年アップしたの同じような写真なのでやめることにした。そこで、今日、雪の中を撮りに行ったけど、早々に引き上げてきてしまった。雪の写真は晴れていないと、墨絵の世界だ。
書くこともネタ切れなので、前から書いているピン芸人論でも続けようと思う。きょうのテーマは、マンネリズム。今年は、小島よしおがブレイクして、「そんなの関係ねぇ」が流行語大賞にノミネートされた。毎年、お笑いの世界から流行語が生まれている。そして、それらの芸人が一発屋として、消えてゆく。「なんでだろう」、「あるある探検隊」「欧米か?」と定番ギャグは、だいたい一年くらいで見かけなくなる。飽きられてしまうわけである。テレビの特質として、常に新しいものを提供し続けることにより視聴率を維持しようとするのだろう。芸人はまさに使い捨てなのである。
一方、吉本などのプロダクションにすれば、一度テレビで顔を売ってくれれば、いろいろな仕事に使えるメドが立つのではないだろうか。何組かをセットにして、お笑い興行もできるというものだ。かくして、「エンタの神様」は、シロウトに気が生えたような芸人が、箸がころんでも笑う娘どもを笑わせることで成り立つへんな番組になった。その中で、ゲテモノ的な芸人が急に売れて、テレビのあちこちに登場するわけである。
さて、これらのピン芸人は、ピンとは一だろうから、ワンパターンしかネタを持ち合わせていない。しかし、私は、マンネリズムがお笑いの世界に悪いとは思わない。私が好きな落語などはマンネリの局地のようなもので、ストーリーは聞き手も知っているのである。しかし、演じ手の個性や演出が楽しいのである。それは、落語が、聞くに堪えられるものならば「芸」になっているのである。
落語でなくても、寄席に通っているとマンネリズムを感じたものだ。牧野周一の「あーあやんなっちゃった」というウクレレ漫談や染之助染太郎の太神楽などは何度見てもおもしろく、内容はマンネリなのである。そこに存在するのが、「芸」なのだ。金を取ってこの「芸」を見せられるのが「芸人」なのである。
小島よしおの場合、リズムに乗って、「関係ない」を繰り出すスタイルは、「芸」になりうると思っている。裸はやめて、あのスタイルをいろいろ工夫すればいいのにと思う。残念なのは、波田陽区で、ギター侍という独特のスタイルを貫いて欲しかった。芸能人のウワサをネタにするのでなく、風刺を利かせて「世相を斬る」ようにすればいいのにと思う。マンネリズムで行き詰まっているのは、桜塚やっくんであろうか。客をいじるのは、芸としては、最低のもので、今のスタイルでは、長くは持たないだろう。
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長野はもうこんなに銀世界なの?!キレイだね☆
色々辛口意見書いてるようだけど、私もエンタはおもんないと思う…
マンネリといえば吉本新喜劇もそうだけど、
毎回同じギャグをやっていても面白い。
むしろいつものギャグをやってもらわないと困る。
だから大阪の番組は病みつきになるんよねぇ〜(^^;
コメント by mariko — 2007/12/16 日曜日 @ 22:54:19