大晦日
今年もあとわずかになりました。きのうの夜あたりからおなかの調子が悪くなって、これから、酒を飲む機会も増えるでしょうから、きょうは、朝から、食べないで乳酸菌飲料ですませています。雪が降ったので、カメラを持ってそこらを歩き回りたいところですが、おなかが少しチクチク痛むもので、自重しています。
他に書くことがないので、いままで連載で書いてた芸人論でも。先日、年末の番組でピン芸人を中心に次々と登場して芸をやる番組がありましたが、学芸会みたいシロートのような芸でばかりでウンザリしました。その中で漫才があって、ホッとしました。
漫才という芸は、ピン芸よりもむずかしい。漫才、コントをやっていて、人気者になるとその人たちの芸を見る機会がなくなって、司会業になってします。これがなんとも、悲しい。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、くりいむしちゅう、ナインティナインなどたぶん漫才出身のコンビなのかなと思うのですが、彼らの芸というものを私は見たことがありません。爆笑問題の漫才もテレビでは見ることがなくなりました。オリエンタルラジオに至っては、ちょっと売れただけで司会業になってしまった感があります。
漫才という芸は、面白いことを言って笑わせることを目的としているわけですが、掛け合いのタイミングでおかしくなったりくだらないとおもったりするもので、その間合いが芸なのでしょう。ところが、最近は、「欧米か」のように決まったフレーズを言えば客が笑うものだから、笑いの間というものをまったく無視しておかしなことを言えば笑うと思っている感じで、なぜもっと、「芸」として追及しないのかなと思います。
コントという分野もあり、「エンタ」などを見てると、現実そっくりのセットの中でコントをやってるけど、テレビの時代だからそうなのかもしれないけど、コントにしても、簡単な道具で、観客の想像力を刺激して行ったほうが芸としても深まるだろうと思う。
テレビという視聴率だけを重視したメディアの中に、芸人が使い捨てられていくのがよくわかる。
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